FBに投稿した内容ですが、
わかりやすい、という感想を頂いたので、
ブログにも載せます。(追記あり)
「過覚醒」について。
こちらは、あくまで私の解釈ですので、
興味のある方は、自分で調べてみてください。
「過覚醒」とは書いてある字の通り、
「覚醒」が「過ぎる」、ということです。
緊張でも、緊張を認識できないことでもなく、
(それらはあくまで、過覚醒による「結果」です)
「覚醒し過ぎる」のです。
外部からの刺激に対して、「過敏すぎる」のです。
トラウマだったり、家庭内暴力だったり、ひどいイジメだったりで、
極端にバランスを崩した状態で、
他の人にとって何でもないことに対して、
「心も体も、異様に反応」し、それが常態化しています。
(パニック障害とかでも、ありますよね)
この状態にある方に、身体がガチガチだからといって、
「リラックスして~、リラックス」
「ほらほら、楽しいこと、いっぱいあるでしょ~、笑うと緩むよ~」
とイキナリ言っても、あまり効をなしません。
なぜなら、意識も無意識も、
「ちょっとでも気を抜くと、大変なことになる」
と思っているからです。
(ここ、ポイント)
実際に本人も楽しんでいても、身体の強張りはとれていません。
ガチガチに固まったまま、笑ったりしゃべったりしています。
あるいは、一時的に緩んだとしても、またすぐガチガチになります。
もちろん、楽しいことは楽しいし、楽しんでいるのです。
笑うときは、笑うのです。
そういう「意識の働き」とは別に、
「違う問題がある」とでもいえばいいのかもしれません。
腸捻転と大腸癌では、治療法が違いますよね。
そんな感じで、アプローチを変えたほうが、
よりスムーズに変化しやすい。
以前、心の傷とトラウマの違いについて書いたけれど、
物事の「違い」を認識することは、
いろんな面で、役に立つ気がします。
私は、こういう「目に見えない部分の仕組み」を知ることを、
非常に楽しむタイプです。
だって、いろいろ「深くわかる」から。
(ペラペラなものには、興味がない)
(ペラペラな本は、かなりうんざりします)
。。。ここからは、ブログだけの内容です。
個人的にですが、
こういったことを乗り越えていくためには、
本人の「行動」が、必要になってくると思っています。
いままで、怖いから避けていたことを、
ほんの少しずつ、やってみる。
凝り固まっていた自分の可動域を、少しずつ拡げていく感じです。
その途中では、いろんな思いをすることもあるかもしれません。
思わず、泣き出したくなることもあるかもしれません。
その思いは、一部の人を除いて、
なかなか、「他の人」にはわかってもらえないかもしれません。
自分で感じて、受け止めて、前に進んでいくものです。
同時に、それは、あなたにしかできない体験です。
あなたの、とてもユニークな、強烈な、オリジナリティなのです。
私はそれは、大切な宝物になると思っています。
いえ、大切な宝物で「ある」と思っています。
いろんな思いを抱えた、あなただからこそ、できることなのです。
他の人も、あなたは持っていない、いろんな思いを抱えて、
あなたにはできない、その人だけの経験を積んでいます。
それと同じです。
私たちはみな、強烈な個性とオリジナリティを持った存在です。
その存在を輝かせるために、生きているのです。
普段はあまり、「生命讃歌」みたいなことは書きません。
文字にした途端に、嘘くさいと思ってしまうから。
そういうものは、言葉にはできない領域で、
「感じる」ものなんじゃないかと、個人的には思います。
上っ面で、立派なことや、綺麗なことを言うのは簡単です。
そこに、どれだけの臨場感があるかは、
その人の、生きざまによるでしょう。
とはいうものの、自分だって、他人のことは、あまりわからないものです。
嫌だな、と思っていた人が、実はすごく気の合う人だったり、
尊敬していた人の、思わぬ面を知って、落胆したり、
そういうのは、誰にでも経験のあることだと思います。
同じように、他人はあなたのことを、わかってくれないかもしれません。
だけど、あなたは、(そうしようと思えば)、自分のことを理解することができます。
自分で、自分の人生の、責任をとることができます。
自分の一番の「理解者」かつ「支援者」に、自分がなれる。
この本当の意味を実感できるようになると、
満たされない思いを、他の人やモノで埋めようとすることがなくなります。
自分らしい人生が、そこにはしっかりとあるからです。
P.S.
昨日はありがとうございました。
おかげさまで、とても良い場を共有することができました。
またお会いしましょう^^
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