久しぶりに会う友人は、幾分、疲れているように見えた。
勉強熱心で、本を肌身離さず持っているところは、いつもと変わらない。
軽い近況報告から始めたけれど、
「今日は相談する!」と心に決めていたらしく、
ほどなくして、ディープな話になった。
ちょっと聞いただけで、それは大変だろうと思う。
必死に、次の道を模索しているのが伝わってくる。
ひとしきり話を聞いたあとで、私は言った。
「それで、何に悩んでいるの?」
友人はちょっと言葉につまり、自分の中を探る。
それから、また話し始める。
その冷静さを、私は「いいな」と思う。
誰かにアドバイスを求めると、
いままで自分には見えていなかった、
「客観的に捉えた一部分」を指摘されることがある。
それは往々にして、無意識に目を背けていた部分で、
割とショックなことも多い。
自分の弱さや、力不足、ずるさや、甘えが、予期せぬ形で露呈する。
そんなとき、人の反応は、往々にして二つに分かれると思う。
一つは、「感情的になって、何も気づけず、相談した相手のせいにするタイプ」
もう一つは、「言われたことを客観的に分析し、自分を変える材料にするタイプ」
前者の反応は、「傷つけられた」「人の気持ちがわからないのか」となり、
後者は、「気づかせてくれて、ありがとう」と感謝する。
感情に飲まれると、せっかくの「気づきのチャンス」を逃してしまう。
それどころか、「自分に気づきを与えてくれる貴重な人」をも逃してしまう。
私もこういうことはあるから、その度に、「心を開く」ようにしている。
(心を開くというと、誰かに対して開くかのように感じるけれど、
本当は、自分に対して開けるかどうかが、鍵のように思う。この話はまたいつか)
この友人は、明らかに後者であり、話していて、とても楽に感じた。
いちいち、波打つ感情のケアをする必要がない。
甘えて、こちらにぶつけてくることもない。
私の言葉一つひとつを、「自分の認識している事実」と照らし合わせ、
重要な部分を抽出して、質問してくる。
友人は結局、
前回の結果に甘んじ、やる必要があるのに、やっていなかったこと
話が通じないのは、相手がわからずやなのではなく、
自分の信頼や実力不足が原因だったこと
これから、すぐにでも取り掛かれることがあること
そうすれば、自分にも勝算があること
に気がついた。
いまにも、必要な電話をかけまくりそうな勢いだった。
最後に、今日も沢山の気づきをありがとう、と言われ、
「どうだった?」と私は聞いた。
「事実を淡々と並べられて、グサグサが。。。やばい、気持ちよかった^^」
それって、えーっと。。。お役に立てて何よりです(笑)
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