私は本当に辛いときほど、誰にも言わずに、
独りになる傾向があります。
誰かに話せる頃には、内面の対話がだいぶ進んで、
回復しているわけです。
私がよく言うことなんですけど、「話すは、放す」ですから。
先月はいろいろ重なりました。
昨年秋に療養のために帰国した、おばが亡くなりました。
私にとっては、特別な人でした。
もっといろいろできたんじゃないかと、思いました。
プライベートで、自分の根元が揺らぐようなこともありました。
そんなとき、二つのセッションがありました。
一つは、クライアントさんの、強固な心の壁が柔らかくなって、
しまいには、なくなったセッション。
言葉や空間を共有しているというよりも、
シンプルにハートが通じ合うあの心地よさは、
クライアントさんも驚いたと思いますが、
私にも非常に良い気づきを与えてくれました。
そして、もう一人のクライアントさんから頂いた言葉。
「ゆかりさんがブレたら、ゆかりさんじゃなくなっちゃう!」
これはもう、特効薬か! みたいな(笑)
でね、改めて、思ったんです。
「私たちは、個でもあるし、つながってもいるんだな」って。
自分と本当に向き合えるときは、
きっと誰もが独りなんだと思います。
これは、友達がいないとか、支えてくれる人がいないとか、
そういう意味ではありません。
自分の人生に起きたこと、自分がやったこと、その結果、
それらの「ありのまま」を、自分で受け入れる強さです。
(「ありのまま」は、事実と主観を区別したものです)
その上で、変えたいものがあるならば、自分を変える勇気を持つ。
私のクライアントさんは、辛い経験をしてきた方も多いのですが、
そんな人だからこそ、余計に、この強さを持つことができると思います。
逆にいうと、そこまで凛として向き合えるのは、
人間はひとりだからではなく、
「本当は独りじゃないと、心のどこかで知っているから」
独りの土台には、つながりがあるし、
つながりの土台には、独りがある。
人は、いつも強くいられるわけじゃないし、
弱音だって吐きたいし、
愚痴だって、聞いてもらいたかったりする。
なんでわかってくれないの? って
相手を責めて、自分の殻に閉じこもったりする。
独りとつながりは、コインの表と裏。
怖がらないで、つながりを求めてみたら、
あるいは、本当に独りになってみたら、
あなたの見ていた世界が、変わるかもしれない──
今日は、大好きだった祖母の命日です。
他にもいくつかあって、私にとって特別な日です。
今年も、この日を迎えられたことを、とても嬉しく思います。
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