前のブログにも書きましたが、1月26日開催の「新春・語り場~ビジョン~」に
申し込んでくださった皆さんに、ある宿題を出しています。
すでに宿題①は終わって、宿題②に取り組んでいるところです。
皆さんの解答は、実にユニークで、楽しくやりとりしています。
(元インタビュアーとしては、質問するのが重要な仕事の一つだったわけで、
なかなか味のある問いかけをしているつもりなんですけど)
お題はいろいろあるのですが、一番強調していたのは、
「自分で考えてください」ということでした。
その中で、改めて思ったことが一つ。
人は、「自分で考えるor考えた」というとき、何をもって、
「これは自分で考えて出した答えであり、他人の答えではない」
と判断しているのだろうか、ということです。
あなたは普段、自分がどんなプロセスを経て考えているのか、
意識したことがありますか?
特に思ったのは、
「自分の頭の中にある概念や気持ちを、言葉に置き換えた答え」は、
果たして、自分で考えたことになるのだろうか? ということです。
私はそれは、「いまの自分のアイディアを出しただけ」だと思っています。
いわゆる「たたき台」です。
その段階で出てくる答えは、視野が狭かったり、スコトーマが沢山ある状態です。
多くは、生育環境や世間の評価基準や、誰かの影響にまみれていますし、
深みもあまりないでしょう。
自分で考えるというのは、その先のステップのことではないか。
その先に進むからこそ、自分で考えた後は、
「考える前とは、ちょっと違う自分」を、新たに発見できるものであり、
あるいは、その先に進もうとしても、なかなか進めないからこそ、
「そうか、このことについて、自分はあまり考えたことがなかったんだな」
という現状が、そのまま認識できるのではないか。
こういうことに思いを巡らせていると、
「自分で考える」という言葉を、どう捉えているのかも、
人によって実に様々で面白いな、と思います。
あなたが「自分で考える」とき、どんなプロセスを経ているのか、
何をやっていて、何をやっていないのか、
改めて辿ってみてください。
それは実は、「他人の考え」かもしれません。
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