セミナーなどをやっていると
「わからないことがわかる人」(無知の知のある人)と
「わからないことがわからない人」の
二つのタイプによく出会う。
総じて、前者の伸びはとても早く
後者の伸びはちょっと時間がかかる。。。ような気がする。
(あくまで個人的な感想です)
以前、クライアントさんから
「ゆかりさんは、いつから&どうして、
わからないことがわかるようになったんですか?」
と聞かれたことがあった。
(その方いわく、わからないことがわかる人は
割合として、そんなに多くはないだろうということだった)
はて、いつからかしら? と
思い出そうとしたのだけど、もしかすると
高校で、数学や物理の壁に、ぶち当たったときだろうか。
教科書に書いてあること、教師の言っていること、
公式の意味がさっぱりわからない。
よって、与えられた問題が解けない。
しかし、周りのクラスメートを見ると、
自分と同じような人がいる反面、わかる人はわかっている。
できる人は、余裕で出来ていて、
他のクラスメートに、教えていることもある。
しかも教師より、はるかにわかりやすかったりする。
ということは、彼らにわかって、私にわからないのは、
「自分に原因がある」ことになる。
なぜ自分にはわからないのか?
なぜ彼らにはわかるのか?
自分と彼らの違いを探り、自習を重ね、
なんとか「意味がわかる」ようになる。
それから、何度も問題を解いて、
今度は「できる」ようになる。
そのステップは、仕事も、自分と向き合うのも、人生も、
全て同じことのように私は思う。
私はどこかに学びに行って、わからないことがあるとき、
・いまの自分には、これはまだわからない
・わかるようになるには、~について、もっと調べたほうがいい
・自分のモノにするまで、ちゃんと時間と労力をかける必要がある
という認識を持ち、そこから自分のモノにしたいと思えば、
自習をスタートするのだけれど、
もしかすると、自分よりも優秀な友人たちに恵まれた環境で、
身につけた感覚なのかもしれない。
それはある意味、
「いまはまだわからないが、自分でやっていけば、
いつか必ずできるようになる」
という、確信の裏返しでもある。
そのために、自分にはどのくらい修練が必要か、
ということも、大体わかる。
その修練が嫌ならやらないし、
それでもできるようになりたければ、やる。
それだけのこと。
やってもやらなくても、どっちでもいいのだから。
いまの自分に、「本当に理解できること」はそんなに多くない。
そうか、わかった! と思っても
少し時間が経つと、まだまだ先があることがすぐ見えてくる。
自分がわかったと思ったモノは、氷山の一角なのであって
全体ではないのだと、また改めて気づく。
そしてその「氷山の一角」が、次への貴重な一歩になる。
そういう自覚を持つだけで、
わかった気にだけなって終わることは減り、
「何がわかって何がわからないのか」という、
自分の理解度を割と正確に測ることができ、
学びの深みは増していく。
実際のところ、世の中は、まだ知らないことだらけなのだから。
(私は、無知の知がある人が好きなんです)
割と昔から、私はこういう考えを持っていて、
それは自分の「認識の枠」を拡げ、「抽象度」を上げるために、
非常に役に立っている。
知れば知るほど、いかに自分が知らないかを思い知る。
それがまた面白い。
この記事へのコメントはありません。