アメリカ旅行の、アリゾナにて。
砂漠の山登りは、初めてだった。
ホテルを出発してから、何度となく、
〈引き返して、長袖とジャージに着替えた方が良い〉
という自分の声がしていた。
でも、すでに、部屋の掃除が始まってるかもしれないし、
ジャージって、かっこわるくない?
そんな〈意識〉で、その声を何度も打ち消していた。
ジャージは、わざわざ山用に持って行ったのに。
その結果、大後悔。
生地のしっかりしたジーンズと、
首元の開いたTシャツでは、
砂漠の夏は、辛すぎた。
結局、髪をおろし、帽子をかぶり、
ドライブ用の手袋をする。
でも、通気性のない、ジーンズがしんどい。
それだけで、バテる。
周りのアメリカ人は、男女問わず、半袖半ズボンで、
それもどうかと思ったけれど(笑)
内なる声というのは、こんなふうに、
本当に些細なことで、聞こえてくるものだ。
そろそろ寝た方がいいとか、
ちょっとストレッチしたほうがいいとか、
なんとなく、あの人に連絡しなきゃとか。
でも、それを無視していると、
だんだん聞こえなくなってしまう。
私は学生の頃まで、この内なる声と、本当に仲良しだった。
電車に座りたいと思えば、座れる電車が来たし、
今日は立ってもいいかな、と思えば、ほどよく混んだ電車が来た。
何気なく選んだ道で、難を逃れることも多かった。
しかし、会社に入ってから、その声を無視することが増えた。
声を聴いて行動していると、なんとなく、周りから浮いてしまう。
会社の目的と、そぐわないこともある。
いつのまにか、自分の声が、聞こえなくなった。
他人の目を気にして、あっちにフラフラ、こっちにヨロヨロ。
こうなると、何に従えばいいのか、
もう、さっぱりわからない。
内なる声を聴く、というと、何か大げさなことのように聞こえる。
人生の岐路に立ったときや、大きな壁に当たったときなど、
特別なもののように考える。
でもそういうときに、フラットに自分の声を聴くためには、
日頃から、些細な声に、耳を傾けておかなければならない。
今日はどんな声がしたか。
内なる声に、心を閉ざさなかったか。
寝る前に振り返るのも、また良い習慣だと思う。
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