こういったブログもそうですが、
誰かの言葉や、書籍から、「自分に必要な情報」をどのくらい受け取れるかは、
その人の「器の大きさ」によります。
その器は、最初は「自分の考え」でいっぱいになっているか、
知識も経験もなく、「とても小さい」か、どちらかであることが多いです。
いまの自分の器が、どっちの状態なのかを、客観的に観れればいいのですが、
その「自分の器の状態を知る」こと自体が、
とても大きなメンタルブロックになることがあります。
自分の本当のことを知る、というのは、結構怖いものなんですよね。
みんな自分はかわいいから。
できれば、自分は優秀で、良い人間であると、思っていたいですよね。
誰かから何かを指摘されたとき、
どうしても、受け入れられないことがあります。
そういうときは、その指摘を一度棚上げして、時間をおいてみるのをお勧めします。
納得いかない、受け入れられない、からと言って、指摘されたことを
全部破棄してしまいたい気持ちも、とても理解できますが、もったいないなあと思うのです。
自分が冷静になれるまで時間をおいて、それからもう一度、その指摘に戻ってみる。
そうすると、その指摘の「真意」がみえてきたりします。
自分の器の片鱗が見える感じです。
これは、普段接している「情報」に対しても同じです。
例えば、UFO(笑)
正直、私にはわかりません。
さらにいうと、UFOが存在しても存在しなくても、とりあえずどっちでもいい。
その一方で、想像の限界を超えるほど広大な宇宙の中で、
「生命体や文化が存在するのは、地球オンリー!」
なんてことは、あり得ないんじゃないかなと思ったりもする。
要するに、答えはわからない。
「だから、UFOはいない」と否定するのではなくて、
自分に正直に、「いまの自分にはわからない」ということにしておくのです。
UFOは極端な例ですが、
本で読んだけど、まだ受け入れられないことや、
誰かに言われたけど、「意味がわからない話」などは、
何言ってるかわからないから、ポイッ、ということではなくて、
「とりあえず保留にする」ということです。
この話は、セミナー等でもときどきお話しているのですが、
先日のセッションでは、クライアントさんの中で、変化が起きました。
私以外の、お知り合いの方に言われていて、でも「何のことだか、わからなかったこと」と、
セッション中に私の発した言葉が、不意につながったのです。
知識は、相互のつながりがなければ、単なる点と点ですが、
それが何かの拍子につながったときに、点が線になり、線が立体になり、
一気に新しいゲシュタルトが出来上がります。
「あのとき、あの人が言っていたのは、こういうことだったのか」
とババババッと理解できるのです。
さらにそのクライアントさんは、
「わからないことは、とりあえず、捨てずにおいておく」
という私の言葉も、実感を伴って、「自分のモノにする」ことができました。
私の周りの方は、皆さん、抽象度が高いので、(あるいは高すぎるので・笑)
昔は、「何言ってるんだろう、この人。ワケワカンナイワ」ということがよくありました。
そして、そのとき頂いた言葉が、半年後、あるいは1年後になって、
「そうか、こういうことだったのか」と腑に落ちる瞬間が来るのです。
「わからないこと」を捨ててしまわず、頭の片隅に置いておくと、
無意識が答えを探し続けます。
そのサイクルを繰り返していると、答えが見つかるまでの期間が、どんどん短くなってきます。
いまの私は、わからないこと、が、わかる、ようになるまで、
相当スピードが上がっています。(あくまで自分比)
その感覚は、新しい発見をしたみたいで、なかなか楽しいものです。
書籍においても、気に入った本ほど、そして「理解できない本」ほど、
時間をおいて、何度も読み返します。
読書の醍醐味は再読にある、と以前も書きましたが、
読むたびごとに、「自分の器」が大きくなっていて、
前は受け取れなかった情報が、入ってくるようになっています。
そうか、こういうことだったのか、という体感も、またとても良いものです。
そこには、いままで頑張ってきた自分からの、「祝福」を受けとるような感覚もあります。
あなたの「自分の器」は、いまどのくらいでしょうか。
どんどん大きくなるといいですね^^
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