青野ゆかりとは何か、と考えていたときに、
思ったのが3つありました。
1共感覚
2どん底からの復活
3深層心理、無意識、潜在意識の法則のエキスパート
です。
1番目の【共感覚】は、エネルギーにも大いに関係するもので、
私の共感覚は、クライアントさんや親しい方々が、
最も信頼をおいてくださる事の一つです。
いままで、あまり話すことはなかったけれど、
自分について知ってもらおうと思ったら、
避けては通れない話題だわ、と思ったので、
今日はこの共感覚について、書こうと思います。
共感覚とは何かというと、
『ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。
例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする』
(Wikipediaより。興味のある人は自分で専門書を調べてみてください)
というものです。
私の家族はほぼ全員が、何らかの共感覚を持っています。
視覚や嗅覚、聴覚、触覚などです。
(味覚もかなり鋭く、グルメが多いです。私もその一人)
中には、私よりもずっと鋭敏な共感覚を持っている人間もいます。
家族がお互いに共感覚者であり、さらに個々の特徴やレベルが違う、
比較対象がある、となると、非常に良いことがあります。
世の中で言われる共感覚的なもの、
あるいはスピリチュアルや精神世界的なものに対して
・踊らされない
・本物かどうか、見分けがつく(抽象度の高さがわかる)
・共感覚を、「何のために」使っている人かがわかる
ということです。
この中で、一番大切なのは3番目の
・共感覚を、「何のために」使っている人かがわかる
です。
スピリチュアルカウンセラーなるものが大ブームになった頃
私にとって、「Aさんはオーラや前世が、本当にみえるか、みえないか」
というのは、割とどうでもいいことでした。
そういうものがみえることと、人格の立派さとは全く関係ない、
ということが、(幸か不幸か、家族のしがらみによってw)
身にしみてわかっていたからです。
もう一ついえば、科学的に根拠があるかどうかというのも
かなりどうでもいいことでした。
私だって、エネルギーが全くわからなければ、
どう思っていたかわかりません。
信じる/信じないは、本人の自由。
それだけの話だと思っていたからです。
共感覚はいわば、一つのスキルであって、
それ以上でもそれ以下でもありません。
サッカーのプロ選手と、アマチュア選手、
一般ですごく上手な人と、まあまあな人と、
いろんな人がいますよね。
プロをみれば、やはりすごいと思う。
しかし、だからといって人格が伴うとは限らない。
人格が伴わないとも限らない。
まあまあな人は、サッカーはまあまあかもしれない。
だけど、周りの人からとても慕われて、多くの人に貢献しているかもしれない。
あるいは、人格もまあまあかもしれない。
そのように、スキルと人格を、
別個にわけて考える癖がついていたのです。
そういう意識をちゃんと持てていたことで、
抽象度の低いスピリチュアルには、全くひかれませんでした。
それは他の分野においても同じで、
頭がいいとか
稼いでいるとか
見た目がいいとか
そういうことよりも
その人が持っているエネルギーのほうが気になっていたのです。
いまでもこれは同じで、
エネルギー以外のものは、あまり気にしていないというか
結構どうでもいいところがあります。
「あ、この人とは仲良くなるな」というのは、
一目見ればわかりますし、
「言っていること」と「エネルギー」が違う人とは、
そっと距離を置くようにしています。
――続きはまたの機会に。
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