ふだん、私が大切にしている感覚の一つに、
こういうものがあります。
「ナニカガチガウ」
誰かがあることを言っていて、
その人は、私の知らない世界を知っていて、
「そちら側の世界」から、いろいろ教えてくれるのだけど、
自分の心の中で、何かがノックするのです。
「あの人が言っていることは、私にとっても、真であるかもしれない」
「。。。だけど、何かが違う気がする」
そのノックの音を聴いているとき、
私には、何が違うのか、本当に違うのか、よくわかりません。
ただ、そこはかとない、違和感があるだけなのです。
そういうとき、私は自分の答えを保留します。
わからないものは、わからないままにしておきます。
その上で、その人が観ている世界を、なるべく知ろうと心がけます。
あちら側に行かないと、見えない事柄が沢山あるからです。
これまでも、この違和感は、私に多くのことを教えてくれました。
そのほとんどは、「自分はどう在りたいか」に関することでした。
いまも私は、あることに関して、そういう感覚を抱いています。
でも、あちら側の世界をあまり知らないので、
正直、よくわかりません。
この「ナニカガチガウ」感覚を確かめるために、
勉強と実践することが、山ほどあります。
これから、どんなものが見えてくるのか、非常に楽しみです。
よかったらあなたも、自分の微細な感覚を、研ぎ澄ましてみてください。
その積み重ねによって、自分独自の在り方を、見つけられるでしょう。
。。。実は、この文章を書いたのは、1年以上前のことです。
(ブログは書きためてあって、お蔵入りも沢山あります)
このとき感じていた「ナニカガチガウ」は
「ナニガチガウ?」を確かめるために
いろいろ勉強しました。
そして、思いました。
「ジブンガミエタ」
他の人にとっては真でも、私にとっては違う。
私にとっては真でも、誰かにとっては違う。
そんなことがあるから、人生は様々な彩りにあふれ、
人との出会いの意味があるのだと思います。
同じだったら、面白くないですものね!
いろいろ勉強したおかげで、このときよりもずっと、
私は自分の在り方を信頼しています。
自分と違うものに出会うからこそ、自分がわかる。
自分の道が見えてくる。
そういう出会いの楽しみが、人生にはあふれていると思います。
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