以前の記事、『①共感覚とエネルギー 青野ゆかりの考え方』
(https://aonoyukari.jp/blog/kyokankakuandenergy1/)で
「共感覚な事柄に、科学的根拠があるかどうかは気にしていません」
という一見乱暴なことを書いたんですけれども、
今日は、そこについて、もう少し掘り下げようと思います。
これは決して、
科学的根拠には興味がない、と言っているわけではありません。
科学は日に日に進歩しているし、
昔はわからなかったことも、どんどん解明されているし、
私も、そういう話を聞くのは大好きです。
これからも、科学によって、新たな世界が拓けていくことを願っています。
なので、科学を否定するわけでは全くなくて、
「科学と仮説は違うよね」という話です。
私が一番「危ないな、だまされやすそう。。。」と思うのは、
「非科学的なことについて、科学的な説明をされると、なんか納得しちゃう人」です。
これは、「科学と仮説の違いを、わかっていない人」だと思うのです。
もう10年近く前の話になりますが、
ある人が「オーラを科学的に説明する」という
ワークショップをやっていました。
細胞学とか物理とか脳科学とか、いろんな方面から解説していて、
話もうまく、なるほど、と思うところもありました。
私自身も面白く聞いていましたが、
説明より何より驚いたのは、
それを聞いていた周りの人の反応でした。
会場にいた人たちが次々と、
「いままで、オーラなんてウソだと思っていたけれど、
科学的に説明してもらえて、納得できました!」
と言い始めたんです。
「え?!」 と思いませんか?
だって、話はすごく面白かったけれど、
「実際には、検証できないものばかり」なんですよ?
例え、Aという学説に根拠があり、
Bという学説が証明できたとしても、
AとBとCが結びつくとDになる、というのは仮説です。
科学とは、「仮説を検証できて初めて成り立つもの」であり、
検証できないものは、あくまで「仮説」に過ぎません。
つまり、そこで行われた解説は、
「オーラがあるという仮説」を、
「いろんな科学的な仮説」をつなげて、
「新たな、よりもっともらしく見える仮説に仕立てた」
だけなんです。
つまり、「仮説」なんです。
仮説ということは、「根拠はない」んです。
というと、結局「納得できた」と言っている人たちは、
「根拠のない仮説に、納得した」ということになります。
しかもその根拠のない話も、
講師の人が科学者で、いつも論文を読んで、実験を繰り返して、
自分の考えを検証しているわけじゃなくて、
本を読んだり、誰かから聞いた話をまとめたもの、
なんですよね。
そこまでいくと、自分が誰の何を信じたのか、
もう全然わからないわけです。
これは例えが「オーラ」という一昔前に流行ったものなので、
なんだか笑い話みたいですけど、
オーラをエネルギー(気)に変えてもいいし、
潜在意識に変えてもいいし、
脳科学に変えてもいいと思います。
要は誰もが、自分の信じたいものを信じている、ということなんですね。
で、人間はそれしかできないんだよな、と思うのです。
ちなみに私自身は、
「私の言うことは信じなくていいです」と言っています。
私の言うことが、あなたの内側で響くようなら
ぜひ役立ててほしい。
でも響くかどうかは、自分で考えてね。
というスタンスです。
これはなぜかというと、
「ラポールがある人間や、共感覚がある人間が言うことを、
無条件に信頼する人が多い」
からなんです。
それって、「自分で考えることを、放棄している状態」なんですね。
非常に「洗脳されやすい」状態です。
私は誰かを洗脳することは好まないし、
「自分で考える人」が好きだし、
そういう人と一緒にいたいからです。
これまで、過去に正しいと言われた学説が覆された事例があります。
これぞ真実、と思われたものも
その先が研究されて、また新たな学説が生まれます。
いまはプロセスの途中で、
まだまだ「先(発展)がある」状態です。
つまり、「変化するものであり、絶対ではない」ということ。
結局は世の中の多くの人が、
「変化するものであり、絶対ではない」ものの中から、
「現時点で自分が真実だと思うものを選んで、信じている」
ということになります。
なので冒頭に戻りますが、
世の中のもっともらしいものも、ほとんどが仮説の寄せ集めだと思うと、
よくできた仮説か、
あやふやな仮説か、
明らかに間違った仮説か、
に分類されます。
これを頭においておくと、
変な話にだまされることが圧倒的に減り、
何を信じるかを、意識的に選べるようになると同時に、
盲信しなくなります。
だって、仮説ですから^^
あとは、それを選んだ自分を信じて、精一杯やったらいいし、
何かがうまくいかなかったら、客観的に検証したらいいのです。
盲信していなければ、客観的になることができます。
こうすると、心の自由度がかなり上がり、
変化に対応できるようになります。
変化に対応できるということは、
自分も変化できるということです。
。。。ということで、前回書いた、
「信じる/信じないは、本人の自由」というのは、
こういうことなんです^^
(あなたが信じているのは、どんな世界?)
はじめまして、ますだといいます。
「非科学的なことについて、科学的な説明をされると納得しちゃう人」について連想した映画があったのでコメントさせてください。
その映画というは、
園子温監督『愛のむきだし』です。
ストーリーの大筋は、主人公のユウ(西島隆弘)がヒロインのヨーコ(満島ひかり)を新興宗教団体から救い出すというものです。
そんな物語の中盤辺りで、新興宗教団体の幹部を務める宗教師が信者たちに説法をするシーンがあります。
この宗教師、実は宮台真司さんという実在する日本の社会学者で、彼がアリストテレスやプラトンを持ち出して団体の教理を語るのです。
このシーンで僕は、
「もしこんな形で説得されたら、簡単に入信しちゃうだろうな」と感じました。
僕は哲学や思想史が好きです。
社会科学全般が「信じたいもの」に含まれます。
その「信じたいもの」を絡めて話されたら、客観的にはおかしなことも信じたくなってしまうだろうなと思います。
まさか自分が支持している世界観について語っている人が変なことを語ったりはしないだろう、と思って疑いの目を無くしてしまいそうです。
気をつけねば!
ますだ様
コメント、とても楽しく拝見しました。
『愛のむきだし』、タイトルは知っていましたが、そんな興味深い話だったのですね。
宮台真司さんも出ているとは。。。満島ひかりも好きな女優さんですし、観てみようと思います。
>僕は哲学や思想史が好きです。
>社会科学全般が「信じたいもの」に含まれます。
>その「信じたいもの」を絡めて話されたら、客観的にはおかしなことも信じたくなってしまうだろうなと思います
私は科学に限って書きましたが、ますださんのおっしゃるとおり、「自分の信じたい世界観」を絡められたら、もっと難しいかもと思いました。
また、好きな世界だからこそ自分も詳しい面もあり、「自分よりずっと詳しそうな人、権威のありそうな人」に言われると、余計に信じたくなるかもしれません。
私は昔、セッションのスキルが抜群な方に「この人はすごいよ!」と紹介されて、ある人のセミナーに行ったことがあるのですが、すぐバレるような「科学的な嘘」をつく人で、いろんな意味で驚愕したことがあります。
人それぞれ、得意・不得意分野やスコトーマがあるので、自分の好きな人の紹介が信頼できる人とは限らないんだなとしみじみ思いました。
(以来、自分が誰かを紹介するときも、ちょっと気をつけるようになりました)
いまは何事も人のせいにせず、自分の中心に立って、自己責任で選んでいけるといいなと思います^^