おすすめ本:『ノモレ』〜対岸の森に吊るされた蛙

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夢中で読んだおすすめ本、その2。
今日はこちらの一冊です。

『ノモレ』国分拓著:新潮社刊

NHKで放送されたドキュメンタリーを、大幅に加筆して書籍化したもの。
放送当時は話題になったそうなので、ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。
(私はテレビは観ないので、全然知りませんでした)

前回は神経科学の最先端について書いた、この21世紀の時代に、
一方では、文明を知らない民「イゾラド」が、ペルー・アマゾンの奥地に生存するという。

対する、文明の中で生きる保護区の先住民族「イネ族」のリーダー、ロメウ。

イネ族とイゾラドとの接触が、ロメウの目を通して語られる。

こちらについて書こうと思いますが、
下記の文章は、書評にはなりませんでした^^; どうぞあしからず。

***************

先住民に興味を持つようになったのは
そんなに昔のことではない。

ネイティブアメリカンやアボリジニ、ポリネシアンなど
さまざまな民族に受け継がれている古代からの叡智には
多くの人が魅力を感じているが、私の場合はそうではなかった。

日本に伝わる叡智や儀式もたくさんあり、
私は日本人なのだから、それが一番合うだろうと思っていたし

ネイティブアメリカンの持つ、残虐で悲しみに満ちた歴史や
そこに留まる怨みと悲しみと諦めのエネルギーには
あまり身体がなじまなかった。

しかしその後、ひとつのリーディングと一冊の本が契機となって
ネイティブアメリカンだけでなく、
欧米の古代の叡智についても興味をもつようになり
それぞれの素晴らしさや、自分に合うものを見つけていけるようになった。

いまも知らないことはめまいがするほどあるけれど
とりあえず、それらについての探求は満足している。
ツールは世界中にいくらでもある。
「いまここ」「私の中」にも確かにある。

この本に強烈にひかれたのは
先住民が“文明に接触しないまま”、この21世紀に生存している、
という事実からだった。

現代人が触れる先住民についての情報はほとんどが
「純粋なもの」ではないと思っていた。
それらは、誰かの目や経験を通して語られたものか
あるいは、すでに文明人として生きる末裔の人たちによって
伝えられるものとなる。

おそらく一次情報といえるものは少ないだろう。

しかし“彼ら”と、先住民のイネ族との交流となれば
もしかすると、生の叡智に触れられるかもしれない。

その可能性は高いとは言えなかったけれど
私は胸の高鳴りを感じながら、読み始めた。
文中のどこかで、その片鱗を感じられれば十分だと思っていた。

本は、美しい文章から始まる。
イネ族に100年前から伝えられてきた話だ。

曾祖父は子孫たちにこう言い遺していた。
白人に森を追われて逃げる中で、生き別れとなった仲間がいる。

「息子たちよ、ノモレ(仲間)を探してくれ」

曾祖父からのその遺言にそって、父の代の1994年に、
アマゾンの奥地に移り住んだイネ族のロメウたち。

2013年、彼らの村の対岸に最初の「イゾラド」が現れた。
性器を紐で結わえただけで、弓矢をもって生きる人々。
曾祖父と似た言葉を話し、貯蔵も栽培も知らない人々。

彼らは曾祖父が再会を熱望した
「ノモレ」の生き残りなのか?

並々ならぬ関心と友情をもってイゾラドと接したロメウたちの交流は
少なくとも私には、到底理解できない結末を迎えた。

2014年の暮れ、ロメウたちの村が彼らによって完全に破壊されたのだ。
家屋は壊され、衣類はひきさかれ、犬や家畜は弓矢で殺された。

そして対岸の森の入り口には、蛙が吊されていた。

それは先住民ならば誰でも、即座に意味がわかるもので
「ここから先は入るな」という隠語だった。

先住民の叡智、という生あたたかい期待を持って読んでいた私は
少なからず混乱することになる。

なぜ? 何のために?

しかし、ロメウたちの彼らに対する思いは変わらない。
きっと彼らは、100年前に生き別れた「ノモレ(仲間)」なのだ。
そう信じる気持ちのほうがずっと強い。

ロメウたちの一族は、行政に助けられて町に移動し、
援助を受けて暮らし始める。

しかし町での暮らしは、何をするにもお金が必要だった。
破壊された彼らの村は違った。
川では魚が豊富に捕れ、森に入れば食べるものはいくらでもあった。
生きるために働く必要は一切なかった。
人々はロメウに「村に帰りたい」と何度も訴える。
彼らには町の暮らしはできなかった。

村に帰るには船を動かすガソリンが必要であり
それを買うお金を、自分たちでは工面することができない。
ロメウは支援団体に援助を頼むが、それらが通る見込みもない。

私はここでも衝撃を受けた。

先住民族が貧困に陥る本当の理由は、
日本だとなかなかリアルな想像がつかない。
差別だとか、教育とかは思いついたとしても、はたしてそれはリアルなのか?

先住民、特にイゾラドは、ため込むことを良しとしない。
私有の概念もない。
熟れたバナナをあるだけ食べ、保存したり、栽培したりすることはしない。
アマゾンとは本当に豊かな土地なのだろう。
縄文時代の日本も、そのような暮らしだったのだろうか。

森を出た先住民はかつての自分を失うという。
その理由がここにもあるのだ。

次にイゾラドが現れたのは、四ヵ月後の2015年のことだった。
ロメウは再び、アマゾンの奥地に向かう。

今度こそ、ノモレとの心の交流を目指して。

。。。続きはぜひ本書で読んでほしい。

この本を読む前、ヤノマミなどの取材を行った人々の書いたものにふれては
私は、先住民と現代人との接触は避けるべきだと思っていた。

彼らは森の中で、そのままで在ればいい。
砂糖やコーラや映画など、
彼らの中に存在しないものを押しつけるべきではないと。

しかし、それらは私の浅はかな理想論に過ぎなかった。

人類学者でブランコ(白人)のメイレレスは言う。

彼らの言うのは全くの正論だ。非の打ち所がない。彼らは正しいことを言っている。だが、正しいことと、イゾラドを絶滅から守ることは別のことだ。
正しい行動をしても、彼らが絶滅してしまったら意味はないはずだ。違うだろうか。何度も言うが、私たちの側の人間が彼らの土地に入り込むことを止めるのは、もはや不可能なのだ。行くな、入るなと言っても、この広大なジャングルで侵入者を排除することはできない。

 
ここでいう侵入者とは、日本のテレビ局や旅人のような
平和なものではない。

侵入者は豊富な資源を求めて森に入り、銃を持っている。
イゾラドは弓矢を持っている。
銃はいつも勝つ。
メイレレスは、絶滅していったイゾラド部族をいくつも見てきた。

文明化というけれど、私たちの人間性の一部分は、何も進歩していないのかもしれない。
侵略して邪魔者(先住民)を殺す。
まるで世界史の教科書に載っていたようなことではないか。

しかもそれは数十年昔の話でもなく、いま現在も彼の地で起こっていることだった。

そして、はたと気がついた。
侵略して邪魔者を殺すのは、現代人同士でもやっている。
もっと進化した武器を使って。

文明化とイゾラド。
ロメウの胸をよぎる疑問が私の胸にも刺さる。

『自分は何者なのか』
『自分はペルー社会の一員である以上に、イゾラドの末裔なのではないか』
『とすれば、自分が信じるべきものとは、森のルールなのではないか』

私はこの本を読んだことによって、いくつかのことを考えざるを得ない。
しかし、それを書くにはまだまだ熟していない。
そうした言葉にならない何かとその時を待ちながら、
一旦、本を閉じようと思う。

『ノモレ』国分拓著

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